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ラタナコーシンについて解説

バンコクの市柱(サーンラックムアン)

レストランやホテルの名前に使われている「ラタナコーシン」って何?と思った方も多いと思います。
タイの歴史や地理を勉強している方なら「ラタナコーシン朝」「ラタナコーシン島」などの名前も聞いたことがあるかと思います。
謎の言葉「ラタナコーシン」について解説していきます。

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ラタナコーシンとは?

ラタナコーシンとは、タイにおける「時代の名前」です。

日本では「鎌倉時代」や「室町時代」、「江戸時代」以降は元号を冠して「明治時代」や「昭和時代」と呼んでいます。

タイにおける「時代の名前」は、日本の江戸時代以前と同様に「最高権力者の所在地」を元に呼ばれています。
国王がスコータイを中心に執務している時代を「スコータイ王朝時代」もしくは「スコータイ朝時代」、同様にアユタヤを中心に執務している時代を「アユタヤ王朝時代」「アユタヤ朝時代」というように「〇〇王朝」もしくは「〇〇朝」というように表現しています。

現在は「ワットプラケオ」などがあるバンコクの「ラタナコーシン島」が中心となっているため「ラタナコーシン朝時代」と呼ばれています。

ラタナコーシン島ってどこ?

バンコクに島なんてあったっけ?と疑問に思う方も多いかと思います。

今現在は、王宮エリアへ続く道にある、ありとあらゆる水路(運河)に橋が掛けられているため気付きにくいですが、ゆっくりと徒歩で観光すると運河の多さを実感できると思います。
「バンコク」の名前の由来が「いくつかの島」から来ているという説もあるくらいです。

話が脱線しましたが、ラタナコーシン島は「チャオプラヤー川」と「バンランプー運河」に囲まれた場所になります。
さらに、厳密には「ロップクルン運河」を挟んで「ワットプラケオ側」をインナーラタナコーシン、「カオサン通り・ワットスタット側」をアウターラタナコーシンと呼んでいます。

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ラタナコーシン朝とは?

まず、勘違いしている方が非常に多いので最初に断っておきます。

現在のタイ王朝の名称は「ラタナコーシン朝」ではなく「チャクリー朝」です。
先ほど説明した通り「ラタナコーシン朝」は時代の名前で、「ラタナコーシン朝時代」です。

現在のチャクリー朝は、1782年(日本:江戸時代)にトンブリー王朝のタークシン王に代わり、ラーマ1世が即位した日から始まります。
そのため、ラーマ1世が即位した1782年4月6日は「チャクリー記念日(タイ語:ワンチャクリー)」として祝日に制定されています。

下記に「ラタナコーシン」という言葉に関連する表をまとめました。

ラタナコーシンに関連する言葉
王朝名チャクリー王朝
現国王ラーマ10世(ワチラロンコン国王)
時代ラタナコーシン朝時代
国名ラタナコーシン王国・シャム王国(英名:サイアム王国)
(現在:タイ王国)
年号ラタナコーシン歴(廃止・王室関連の行事では見かける)
(現在:仏歴・西暦)

「ラタナコーシン歴」は、ラーマ6世時代に廃止され、現在は仏歴が使われています。
「ラタナコーシン歴」は、「ร.ศ.(ローソー:R.E.)」と呼ばれ、R.E.1(ローソー元年)はB.E.2325(仏歴(ポーソー)2325年)です。

ラタナコーシンでタイ語の勉強

「รัตนโกสินทร์」は「ラッタナコーシン」と読みます。
「รัตนโกสินทร์」をパッと見て、すんなり読める方はタイ語中級者、声調まで完璧であれば最上級者です。

注意ポイントは最初の「รัตน:ラッタナ」と最後の「สินทร์:シン」の2点です。

「รัตน:ラッタナ」は、二重子音になれずに母音「あ」を伴う文字です。
タイ語の二重子音を勉強したい方はこちらから。

「สินทร์:シン」の後ろに付く「ทร์」は「二重子音」に「ガーラン」が付与されることで発音しない言葉になります。
つまり「สินทร์」も「สิน」も同じ「シン」と読みます。
「ガーラン」は神聖な言葉に多く付与されています。
タイ語の特殊文字を勉強したい方はこちらから。

いかがでしたか?
バンコクの正式名称にも「ラタナコーシン」が入っていますので合わせてご覧ください。

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